吾妻山の会

山開き日に、初夏の摩耶山に登る

  期日:平成22612日(土)−13日(日)

  メンバー今井さん、中澤さん、渡辺さん、茅原さん、石井さん、遊佐

   コースタイム福島市飯坂IC14:00===月山IC==鶴岡市倉沢==摩耶平泊


  摩耶平6:10――二ノ休――三ノ休――雪渓――ソリクラコース――山頂9:159:45――ソリクラコース――12:00摩耶平==ゆぽく温泉==米粉ドライブイン(昼食)==月山IC====17:00福島飯坂IC


  12()摩耶平にテントを設営する。

 
明日は山開きなので早くから来る人もあるかもしれないが、きょうは私たちだけ。焼き肉メニューで気兼ねなく明日の楽しみを語っていると、車が1台やってきた。倉沢の亀井さんがワラビと熊肉を差し入れてくださった。そのワラビは切ってなくて頭の部分だけ取り除いてある。1本のままいただくと、香り高く(亀井家のお孫さんは「森の香りがする」と言うそうな)柔らかでとてもおいしい。おいしさのひみつは、「冬の間ストーブに焚く広葉樹の薪の灰をワラビのあく抜きに使ったから」と亀井さんが教えてくださった。焼き肉には熊肉が追加された。私は始めて食べたが、噛んでいるとジワジワと口中においしさが広がってくる。倉沢部落のマタギがどうやって熊を捕るかの話しを伺いながら、熊肉をいただき最高の贅沢です。

 

  13()4時起床しっかりご飯をたべて6時に出発した。

 
歩き始めの沢沿いにはカタクリの実(?)があり、花の時期なら一面カタクリできれいなことでしょう。最初から急登、そのうちにロープ、鎖、ハシゴが登場してくるが、きのうの熊肉のおかげかドンドン登れる。登山道のまわりはちょうどウツギとツツジがさかりで目を楽しませてくれる。雪渓の先の斜面にはヒメサユリとニッコウキスゲが咲いている。私の目にはしっかり映っているが遠すぎてカメラでは写らない。今井隊長の先導で山頂まで約3時間。山頂には温海から登ってきた1名と我々だけで、狭い山頂もこの人数ならゆっくり楽しんでいられる。帰り道は上ってきたソリクラコースをもどるが、山開きセレモニーに出席した多くの人とすれ違う。駐車場は多くの車でいっぱいで、こんなに多くの人が登ったのでは摩耶山の標高が低くなってしまうのではと心配する。じゅうぶんに楽しませてもらった摩耶山にお礼を申し上げて、次の楽しみの温泉へ。庄内を満喫して福島飯坂ICへ無事に帰り着く。心なしか太平洋側は雲が多い、翌日福島は梅雨入り。

 


  

 摩耶山の謂われ:鶴岡市の摩耶山には20年前に鶴岡市の方の案内で登ったことがありました。そのときにいただいた資料がありました。

「秘境摩耶山 第一章 前編」より、悲しいことに著者が分かりません。

「この山の開山は東、西全く其の規を異にしている。東側は妖怪変化の山として入山をおそれ、江戸時代に入って地理の峻険常態ならざる所より修験が難行苦行の行場としたので時の人々からは仙人の棲家として神秘化され、次で亦開山を志せし者ありしも怪異にさまたげられて果たさず断念を子孫に訓えしなど、遅々として進まぬ此の山の発展は大正六年、大滝慶順に依って始めて全山開山をなし遂げ信仰の山として出現した。

西側の云うる所は甚だ古く、神代の昔にさかのぼり素盞男命国土経営の際龍馬にまたがり此の山に登り四方の地勢を按じて此の地方を治め給いし所と云う当時は厩山と称した、と。神仏混淆の時代には摩耶山と書き改めたようであるが、仏教の影響を受けたためであり、その為に発達したともいえましょう。即ち山腹には堂宇を営み仏母摩耶山天上と称し古義真言兼帯の霊場となし登山口は越沢、関川、倉沢の三口を開き庄内南山の繁栄を極めたといい霊験あらたかなる御山、殊に馬室繁栄、漁航満足、女人愛護、雨乞顕著として伝えられてある。......

    20年前の山頂での写真です。


 
   急登が続き、雪渓で月山を望みながら小休止。


   その先も急登ありロ−プ、クサリ、梯子の連続。


    お花がとてもきれい。

     山頂、20年前と同じく標高1019

  

  エンレイソウ  サラサドウダン


  
   イワカガミ   タニウツギ


 カタクリの実(葉っぱはもう無い)

 
ヒメサユリ ヤマツツジ

 
  END